インド高速鉄道プロジェクトへの参画

山本 尚央
鉄道系部門
東京鉄道グループ
チームリーダー

2013年9月から2017年4月にかけて、私は日本コンサルタンツ株式会社(JIC)に出向し、海外プロジェクトに従事しました。JICは鉄道による世界各国の交通インフラの充実と日本のインフラシステム輸出の推進に貢献する鉄道プロジェクト専門のコンサルタント会社として2011年に設立された新しい会社です。

JIC社員の多くは、日本の鉄道を支えるJR東日本などの主要な鉄道事業者からの出向社員で、設計や施工だけでなく、鉄道の運営管理業務のノウハウを持ち、様々な国での経験、知見を有する技術者が結集していました。私にとっては、そうそうたるメンバーの中での武者修行のような経験でした。

鉄道案件調査

出向前半の1年半の間は、主に海外の鉄道案件調査に携わってアジア、アフリカ、中東、ロシアなどに渡航しました。調査対象国の鉄道省や鉄道事業者、日本大使館などを訪れて、それぞれの国における鉄道の現状や課題、今後のプロジェクトなどを調査し、日本が関与できそうな案件を洗い出す仕事です。それぞれの国で鉄道は大きな役割を果たしており、これからも新しいプロジェクトが猛烈な速さで進められていくであろうということが容易に想像できました。調査を通じて、「海外における鉄道プロジェクトの膨大さ」、「中国の存在感」、「事業スピードの重要性」、を感じることができました。

アフリカの大地を疾走する鉄道(モザンピーク)
中国が手掛ける都市鉄道の高架橋(ナイジェリア)

インド高速鉄道プロジェクトへの参画

インド高速鉄道の最初の計画路線(東海道新幹線東京~新大阪間515kmとほぼ同じ路線長)

出向から1年半経ったころ、インド高速鉄道のF/S(Feasibility Study:実現可能性調査)への参画を持ち掛けられました。F/Sにも関わりたいとちょうど思っていたところだったのでチームメンバーに加わることを志願。翌月2015年4月からインドに渡航して調査や資料づくりを開始しました。
インドでのJICの拠点はグルガオンという都市に置かれていました。ここは首都デリーの南隣りの衛星都市で、外資系企業などが進出して急速に発展していました。当時、JICのオフィスはビルの1階にあり、日本人スタッフは多い時期でも十数名でした。インド人スタッフも5名ほど在籍し、その中には元鉄道省幹部も含まれていました。
全メンバーは、インド高速鉄道の最初の整備区間(ムンバイ~アーメダバード間)の実現と、日本方式採用を第一目標として懸命に活動しました。私も土木構造物担当として、インドのコンサルタント会社とともに多くの図面や報告書を作成しました。このコンサルタント会社とは何度も調整・協議を行い、期限間際でなんとか成果品を取りまとめることができました。協議の途中ではお互いに声を荒げたことも何度かありました。
海外業務に一専門家として派遣されると、担当分野はその専門家に一任されるため、相当な緊張感を感じることになります。インド側との打合せは英語で、文化も構造物に対する考え方も異なります。私にとっては海外での業務も初めての経験であり、いろいろなことが手探り状態でした。

当時のインド政府側カウンターパートはRVNLという組織でした(日本の独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構(JRTT)に相当する組織)。RVNLやインドのコンサルタント会社との打合せの前は、みな気になって早朝に目が覚めるなど相当な緊張感を持った仕事で、連日続くインド料理のせいかもしれませんが、胃がキリキリと痛むほど。
RVNLの担当者とも毎週のように打合せを行った結果、成果品を引き渡す際には、担当者とも打ち解けた雰囲気になっていました。声を荒げて議論したインドのコンサルタント会社とも打ち上げパーティーを開催しました。この頃には、インド高速鉄道に関わるメンバーは信頼できる仲間となっていました。それもそのはず、インド側との難しい会議を一緒に経験し、ホテルでもオフィスでも毎日一緒・・・という生活を何か月も続けたのだから。

さらに続く素晴らしい体験

F/Sが終わって一息つけると思った矢先、日印両国がインド高速鉄道プロジェクトの推進に合意する可能性が高いとの情報が耳に入りました。本格的な動きはもう少し先であろうと思っていたところ、予想以上に物事が進んでいるようで、2015年の年末には日印首脳の会談で、日本方式によるインド高速鉄道整備が合意。私は引き続き、構造物の設計基準策定に携わることになりました。この頃には出向を終了してCFKに復職する予定でしたが、いろいろなことを考慮して出向期間を延長しました。

私の担当はコンクリート構造物と耐震に関する設計基準策定でした。まずはインドの設計基準類を読む必要があります。インドにはRDSOという組織があり、鉄道設計基準類を策定しています。調べてみると、膨大な種類の設計基準が出てきました。コンクリート構造物や耐震設計に関する基準類を読み込み、JICやJR東日本の技術者と相談しながらインド高速鉄道用のDBR(Design Basis Report:設計仕様書)を一から作り始めました。その後、日本国内の鉄道構造物の専門家を委員とした分科会が立ち上がり、委員の助言を受けながらDBRの策定を進めていきました。この分科会には鉄道総研、JR東日本、JRTT、JIC、のそうそうたる専門家が名前を連ねていました。鉄道構造物設計に関してこのメンバーで解決できないことなどなく、効率的に物事を決めていくことができました。すべてのメンバーが積極的かつ協力的であり、インド高速鉄道プロジェクトにオールジャパンで対応しているということを肌で感じることができました。このような分科会を初期の段階で立ち上げることを発案・調整された上層部の方々の先見性には敬服するほかありません。

この頃のインド側カウンターパートはインド鉄道省とRDSOに移っていました。インドは鉄道大国。鉄道省は政府組織の中でも強大で、軍隊並みの発言力があるとの話も聞きました。ニューデリー中心部にある鉄道省に何度も出向き、日本側の設計方針を丁寧に説明しました。協議相手は相当高い地位の幹部でしたが、忙しい中でも私の説明を最後まで聞き、丁寧に答えていただきました。このように、日本側、インド側の対応がうまくかみ合って、DBRの素案をつくることができました。また、DBRの上位基準であるMSS(Manual of Specifications and Standards:共通仕様書)についても、何とか日印両国でサインを交わすことができました。この間、言葉では言いつくせないほど様々なことがありましたが、関係者の方々と一緒に悩み、対策を練りながら、なんとかこの成果までたどり着けました。

アーメダバードの町なかを歩く象
バドーダラ駅前の商店街の風景

出向で得た友人たち

私は2017年4月にCFKに復職し、引き続き、JICとともに構造物設計業務に携わっています。6月にJICインド事務所を訪問すると、100名以上の日本人スタッフと50名以上のインド人スタッフの大所帯となっていました。プロジェクトは次の段階に進み、日々相当な苦労をされながらインド側との協議・調整をされているものと想像します。
インド高速鉄道プロジェクトでは、JICに出向して、海外鉄道プロジェクトの技術面での最前線を体験することができました。ここで得たノウハウは、海外だけでなく国内のプロジェクトでも活かされるものと思います。インドでの数か月に及ぶ長期滞在で、一つの目的に向かって皆で苦労を共にし、濃密なお付き合いとなりました。私もそのような経験の中で、国内でもトップクラスの専門家や技術者との人脈をつくることができました。人脈というと少しビジネスライクに聞こえるので、“友人”といってもいいかもしれません。このプロジェクトで私が得た日印の友人とは、どこで会っても気軽に話ができます。この友人たちとは、将来の海外プロジェクトでも協力し合える仲間となると考えています。(2019.02.26リライト)

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