Osaka Metro と CFK 過去から未来へ、良きパートナーとして〔1/3〕

1.設計分野への取り組み

(1)Osaka MetroとCFKの歴史

1 御堂筋線梅田駅の混雑(左) 1)をうけ、南行きの線路を東側に移設することでホームを広く改装する設計を担った(右)

大阪の地下鉄事業者であるOsakaMetro(旧:大阪市交通局)が管轄する路線の建設は御堂筋線に始まり、今里筋線まで8路線が整備されています。この内、CFKが最初に設計を行った記録はありませんが、Osaka Metroが設計外部委託を始めた1950年以降頃と想定されます。

なんと、70年近くOsaka Metroの設計に携わっていることになります。これ以降、高度経済成長期におけるOsaka Metroの地下鉄建設ラッシュにあわせ、CFKはほとんどの路線の設計に携わってきました。例えば、1960年頃に利用者数増加が輸送力の限界を超えた御堂筋線の混雑緩和対策として行った主要駅の改造設計には、CFKが携わっています(写真1)。

この設計は、数十年経過した今も当時のOsaka Metro担当者から「御堂筋線混雑緩和の設計では、このような改造をしていたよな…」と未だに語られるほどです。また、Osaka Metroの路線とは異なりますが、1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)では、江坂駅から千里ニュータウンを経て会場まで乗り入れる路線が整備されました。この設計にもCFKが携わりました。このように、C F Kの地下鉄設計技術はOsaka Metroに鍛えられ、共に成長し、成熟していきました。

なぜCFKがここまでOsaka Metroの設計を行うことができたのかと考えたとき、Osaka Metroの歴代本部長のひとりから言われた言葉を思い出しました。曰く「CFKは身近にある設計会社だったから、設計を委託し、地下鉄技術を指導した」とのことです。きっかけは「身近」だったかもしれませんが、共に切磋琢磨して成長してきた良きパートナーであったからこそ、ここまでC F K がOsaka Metroのパートナーとして成長し、全路線の設計に携わり続けてこられたと自負しています。

(2)阪神淡路大震災と地下構造物崩壊 -耐震設計技術の習得-

1995年1月、阪神淡路大震災が発生しました。この地震で、神戸高速鉄道大開駅の中柱がせん断破壊を生じ、上床版がMの字に崩れ、地表面が陥没する崩壊に至りました。これまで地震に強いとされてきた地下構造物の神話が崩れ去った瞬間でした。神戸で発生した地震でありましたが、少なからず被害を受けたOsaka Metroは、国からの緊急耐震対策として、中柱のせん断破壊を防止する耐震補強に直ちに着手するとともに全路線の構造物に対する耐震安全性評価に着手しました。

検討は委員会形式で行われました。CFKはこの検討の事務局として、実質的な構造検討や評価等の業務を請け負いました。検討は、全国的にも先駆けた内容でした。特に初年次は、地下構造物の耐震設計手法が確立されていない中、今では一般的となった地中構造物の耐震設計手法である「応答変位法」を早々に導入したり、解析ツールが整備されていない当時においてもFEMを用いた「動的解析」による検討を実施したりと、当時最先端の技術を導入した検討を行っていました。

CFKは、当初これらの技術を有していませんでしたが、Osaka Metroと共に学識経験者などの指導を受けながら、一から勉強し、その技術を確実に身に着けていきました。その努力が今日におけるCFKの耐震設計技術に繋がっています。

Osaka Metroでは、近年、東日本大震災等から得られた新たな知見を踏まえた耐震設計技術に沿って中柱の耐震補強を実施しており、CFKはこれまで培った技術力を活かして、補強設計のほとんどを請け負っています。さらには、他の地下鉄事業者からもCFKが耐震補強設計を請け負うに至っています。こうした成果の裏には、Osaka Metroと共に切磋琢磨して培ってきた耐震設計技術があることは言うまでもありません。

(3)新たな設計法への取り組み

Osaka Metroの8番目の路線である今里筋線は、現在の開業区間の整備が行われるのにあわせ、南方面への延伸計画も進められていました。地下鉄構造物の設計はこれまで許容応力度設計法で行われてきましたが、2001年に国土交通省により限界状態設計法による地下鉄構造物の設計指針が制定され、地下鉄構造物も限界状態設計法に移行することになりました。

この状況を踏まえ、8路線すべてを許容応力度設計法で設計してきたOsaka Metroも、今里筋線の延伸時には限界状態設計法の適用を計画していました。この実現のためには、各種設計法の熟度を上げる必要がありました。

そこでCFKは、限界状態設計法によるOsaka Metroの新たな基準策定やOsaka Metro内における勉強会の実施等を担いました。CFKは、国の設計指針を制定する公益財団法人鉄道総合技術研究所に対し、出向を継続的に行っていたため、研究所における限界状態設計法の知識を有していました。その知見がOsaka Metroでの限界状態設計法の検討に大いに貢献しました。

(4)近年の設計

①既設構造物の大規模改良

Osaka metroは緑木と森之宮にある車両工場機能の一元化を図る目的で、本町駅付近で両路線の連絡線を建設することになりました。この工事は、両路線を運行しながら、既設地下構造物の壁を撤去し、新たに1線分を拡幅する大規模な改良工事でした。CFKは、既設構造物の安全性を担保するための補強や営業線に支障しない構造・施工計画を立案しました。

②バリアフリー改造設計

2 御堂筋線梅田駅7番出入口は土 木・建築上屋ともにCFKの設計

20 0 6年のバリアフリー法制定を受け、地下鉄駅も移動円滑化のため新たにエレベータを設置する必要がありました。CFKは、これに伴う既設構造物の改造設計を多数手がけており、例えば御堂筋線梅田駅の7番出入口は、土木及び建築上屋共にCFKの設計です(写真2)。こうした取り組みにより、Osa kaMetroでは、全駅でバリアフリー化が完了しています。

③請願出入口設計

3 御堂筋線心斎橋駅大丸前通路は大丸百貨店建替えにあわせて設計

地下鉄駅の出入口は、都市の発展に伴い地権者側から出入口を新たに設置する請願を受けることがあります。CFKでも、こうした設計を多数手掛けています。中でも比較的大規模な改造を伴う出入口設計となったのが、御堂筋線心斎橋駅での大丸百貨店前の通路設計です(写真3)。この業務では、大丸百貨店の建て替えも踏まえながら、心斎橋駅の構造変更や出入口通路の改修、地権者側とOsaka Metro側双方の要望を踏まえた検討が必要であり、非常に高度な知見と技術を要する設計でした。

④浸水対策設計

4 御堂筋線中津付近擁壁扛上による浸水対策。 壁の中を列車が走行する

Osaka Metroは、豪雨や津波に対し、地下鉄構造物への浸水対策を講じています。浸水対策では、水際対策として地下鉄出入口やトンネル坑口付近に対策を施すことが多いです。CFKはOsaka Metroの浸水対策設計を多く行っています。例えば、御堂筋線中津駅北側では、高架から地下に構造物が移行する区間があり、トンネル坑口部への浸水対策が必要でした。ここでは、U型擁壁をボックス形状に変更したり、擁壁高さを上げたりする対策を行いました。この設計は構造物の成立性や施工性が非常に困難でしたが、Osaka MetroとCFKの技術力を融合させ、設計を完遂させました(写真4)。

⑤ホーム柵設置時の安全性検討

ホームからの転落や列車との接触による事故を回避するバリアフリー化の一環で、Osaka Metroでは可動式ホーム柵の設置を進めています。CFKは、既設プラットホームにホーム柵を設置する場合の安全性検討を行いました。その後、この成果をもとに、長堀鶴見緑地線を皮切りにして順次設置が進められています。検討断面数の多さや、建設された年代による使用材料や構造パターンの多様さをうけて状況把握に苦労しましたが、Osaka Metroと協議を重ねながら検討を行いました。

【参考資料】
 1)「 大阪市地下鉄建設50年史」(1983年, 大阪市交通局)

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