
CFK鉄道の70年以上の実績と誇り。幸運にも大先輩が築いてきた確固たる礎があり、そこに裏付けられた大きな信頼がCFKにはあります。その信頼を守るため、真摯に技術と向き合い、鉄道設計の最前線を苦闘しつつも走り続けてきました。
そんな20年選手の同期3人が、オンリーワンの鉄道コンサルタントとして成長を続けるために、「今」を見つめ直すとともに、「過去」から「未来」へと繋ぎたい想いを綴ります。

CFKだからできる鉄道の仕事

1999年入社の私たち3人は、一貫して鉄道構造物の計画・設計に携わってきました(写真1)。
入社当時から切磋琢磨しつつ、それぞれが得意とする分野を持ち、互いに技術的な意見を乞うことができる貴重な存在です。同じプロジェクトのメンバーとして業務を進めることもしばしばありました。そんな私たちが、これまで様々なプロジェクトを通して感じる、CFKだからこそできる鉄道の仕事というのがあります。
鉄道は路線延長が長いため、交差条件により様々な構造物の計画・設計を行う必要があり、それだけ多くの課題に直面します。また、環境や景観、補償に関するニーズも多様です。ステークスホルダーそれぞれのニーズを汲み取り、センスのよい提案を行うためには、それだけのノウハウが必要です。
「豊富な知識と実績を活用・応用することで、用・強・美を兼ね備えた社会資本をデザインする」、これがCFK鉄道の仕事です。
加えて、CFKは公益財団法人鉄道総合技術研究所(以下、「鉄道総研」)や鉄道事業者への継続的な出向を通じて、鉄道設計の最前線で技術を吸収することができます。技術基準策定や技術開発に携わることは、設計の本質を理解することであり、プロフェッショナル集団としてかけがえのない財産となります。
「最先端の設計技術を学び、積極的に実務に取り入れる」、これもまたCFK鉄道の仕事です。
そして、私たちの仕事は事業の構想段階から完成まで、20年、30年もの長きに渡り鉄道事業者のパートナーとしてプロジェクトに関わっていきます。事業を進める過程では、建築や道路・河川・橋梁・トンネル・環境・地盤・測量・ICTなど、鉄道以外の多くの専門技術も必要となります。CFKはグループや部門を超え、各分野の英知を結集して事業推進に貢献します。約400名の技術者を有する適度な規模感が組織力をより強固なものにしているのかもしれません。
「総合力を発揮してプロジェクトを前進させる」、これこそがCFK鉄道の仕事です。
過去から受け継ぐDNA~大先輩に聞く~

私たちは、先輩の背中を見ながら業務を進める中で、おのずと「CFK鉄道の仕事」を覚えていきました。「過去から今、そして未来へ受け継がれるそのマインドの原点に今一度立ち返ってみたい。」そんな想いから、製図用のシャープペンシル片手に図面を引き、手書きの計算書を作ってきた鉄道系部門の大先輩(経歴45年・48年・53年)に、CFK鉄道の歩み、技術者としての仕事の極意を聞いてみました(写真2 左下)。
鉄道設計会社から総合コンサルタントへ
戦後、満州鉄道から引き上げてきた優秀な鉄道技術者の受け皿であった社団法人復興建設技術協会近畿支部がCFKのルーツです。設立当初は、鉄道路線測量や鉄道構造物設計が主な業務銘柄であり、国鉄や鉄道建設公団、民鉄各社にCFKが技術指導を行う立場だったそうです。その頃、国内で鉄道設計ができる会社はCFKを含めほんの数社とのことでした。
1960年代から1970年代の高度経済成長期には、目が回るほどの業務量だったそうです。しかし、1973年に発生した第一次オイルショックが、日本経済そしてCFKに大きな打撃を与えました。「鉄道技術だけでは、CFKの未来はない。」CFKが総合コンサルタントとなる契機となりました。
図面は命
先代からは「図面は命」と教わったそうです。CADで簡単に複写や移動ができる今の図面とは違い、手描きの図面には重みがありました。図面をぞんざいに扱った若かりし現常務(写真3)を叱ったこともあると言います。製図を担当する技術補助員は、入社後、半年間は製図用の文字をひたすら練習しました。どこへ行っても、「CFKの図面」と一目で分かる美しい図面が誇りだったと言います。
「今の若い人には、計算からではなく、まず図面・数量から覚えてもらいたい。」と大先輩は言います。構造を把握せずして計算はできないからです。
震災を乗り切った技術者魂
1995年に発生した兵庫県南部地震を不屈の精神で乗り切った大先輩。執務室に布団を持ち込む人、会社近くにマンションを借りる人、まさに不眠不休、皆が必死でした。鉄道構造物の被災状況を確認するために、足にマメができるほど歩いた日々を昨日のことのように語りました。復旧工事が終わり、試運転の列車が通り過ぎた後、「ありがとう」という客先からの言葉は、この上ない技術者冥利だったそうです。
「どうやったらできるか」を考える
「仕事を断るという発想はない。無理難題と思える相談に対しても、どうやったらできるかを考えてきた。」と言います。厳しい条件下でも、苦しかった、しんどかったという記憶は不思議とないそうです。仕事を完遂した後の達成感、それが大きいと。
「私たちは設計会社ではなく、コンサルタント。事業者の困りごとを解決するために知恵を絞り、よりよい社会資本を創ること、それが仕事。」との言葉には、半世紀以上に及ぶ技術者人生の重みが感じられました。
外からのインスパイア ~元鉄道総研西村氏に聞く~

CFKが我が国の鉄道土木の根幹に深く関わっていることを再認識したところで、少し視点を変え、改めて技術者のあるべき姿を考えるべく、元 鉄道総研耐震・基礎研究室長の西村昭彦氏にお話を伺いました(写真3)。
西村氏は、兵庫県南部地震以降の耐震設計法の進歩や基礎構造物の健全度評価・維持管理技術の策定に成果を上げられている耐震設計の第一人者です。
実現象をとらえる
研究者・技術者として日頃から大切にしていることは何でしょうか。それは「現象をしっかりととらえること」だといいます。
特に若い研究者や技術者は実験や解析結果にとらわれがちです。しかし常に現実の事象をよく見て深く考えなければなりません。「地震時には力だけでものは壊れない、ひずみ・変形が生じてはじめてものは壊れる」という言葉に、変形性能を評価する現行耐震設計法の根底に流れる想いを感じました。
議論に上下はなし

CFK鉄道には、鉄道総研時代の西村室長から教えを受けたメンバーが多くいます。1999年の耐震設計標準改定時、室長のデスク前には朝から晩まで人が集まり、議論の”順番待ち”状態が常だったといいます。その背景に、西村氏の「技術的な会話に上下はなく議論がすべて」という姿勢があったであろうことは想像に難しくありません。
これまでCFKと協働した様々なプロジェクトの中でも、特に西村氏の印象に残っているものとして「大阪市交通局(現Osaka Metro)耐震検討業務(写真4)」を挙げられました。本プロジェクトは、地震動作成から、地下~高架区間における多種多様な構造物の耐震検討・補強検討を行ったものです。
その一つ一つは地道な技術の蓄積で、CFKが真摯に取り組んできた努力の結晶です。そんなCFKの業務に対する姿勢を評価されていると聞き、大変誇らしく感じました。
これまで協働するなかでは、時に我々の提案が通らないこともありました。それでもなお、「対案をもたない正論は意味をなさない」といいます。どんな事象にも様々な側面があり、技術者によってそのとらえ方も様々です。議論を尽くすことが何より重要と改めて気付かされました。
未来にかけて伝えたい想い
鉄道土木の設計一筋20年、一人ひとり様々な想いを胸にプロジェクトに取り組み、そして、この仕事の未来に想いを馳せています。私たちには、この業界を目指す学生や、若手技術者に伝えたい想いがあります。
中原:中学2年生の時に家族で岡山県の鷲羽山にドライブし、そこから見た瀬戸大橋の雄大な姿と線形美に魅せられて土木の世界を目指しました。入社後、その瀬戸大橋の線形はCFKの先輩が引いたものと聞いたときは何とも言えない縁を感じました。
縁-コンサルタントとして働く魅力の一つだと感じています。仕事を通じて多くの方々と出会い、事業を通じて初めて知る場所があります。社内外の大勢の人との関わりのなかで、成果が完成します。自分が設計に携わった事業が完成した時の感動は格別です。20数年働いて、この感動を何度も味わうことができました。
もう一つの魅力は、成長し続けられることです。技術は、日進月歩です。業務を通じて新しい技術に触れ、技術者として成長できます。「仕事をしながら成長できる」だからこの仕事が好きです。
若い技術者は、この感動や成長を味わえるように継続して働いてほしいです。また、様々なきっかけにより土木分野を目指す学生は、コンサルタント業界に飛び込んで来てほしいです。
私の目標は、「誰もしたことがないことをする」です。ただし、それは「世界で」ではなくてもよいと考えています。例えば、「大阪で」とか「CFKで」といった小さいグループからがスタートです。この「誰もしたことがない」ことを、社内外のたくさんの人と関わり、一つでも多く達成していきたいです。

安西:入社時(写真5)の大阪本社は新大阪駅北西側のテナントビル内にあり、数年前に発生した兵庫県南部地震から立ち上がり前を向いていこう、という空気に満ち溢れていました。あれから20年、そう何度も経験しないと思っていた大地震は東日本大震災を経てさらに身近になり、設計技術も進化を続けています。
鉄道は線形計画から詳細設計、地下から高架、驚くほど仕事の幅が広く、20年そこらでは到底すべてを掌握することはできません。そのため、新しい課題に直面する度に、積み重ねられた成果の山を紐解き、先輩に教えを乞う毎日です。
最近携わっている既設の改造設計・長寿命化設計では、過去の設計手法の変遷も正しく理解する必要があります。設計上の制約も多いです。そんな時、CFKには電卓を叩いて開削トンネルのスケルトンをあっという間に決めてしまう先輩、初見の図面でスパン割の課題を的確に指摘してくれる先輩がいます。共に悩んでくれる同志もいます。私が仕事を、CFKを好きな理由はそこにあるのだと思います。
山本:がむしゃらに働いていた若手時代、周りから「仕事、好きやろ?」と言われたことが幾度かあります。しかし、正直、今でも「仕事が好き」と思ったことはありません。
ただ、全力で業務と向き合っていたようには思います。それは、「人が好き」だからではないでしょうか。仕事を通して、人と関わることが楽しく、信頼関係を築いていく過程にも楽しさを感じました。「頼りにされたい」、そんな想いが原動力となっていました。20年を経た今もその気持ちに変わりはなく、若手時代よりさらに人と関わることが楽しくなっています。技術的な会話の幅が広がったこともあるでしょう。
「仕事が好き」と思ったことはありませんが、「仕事が楽しい」と思える瞬間があります。それが実は「仕事が好き」ということなのかもしれません。
業務を遂行する過程では、しんどいことや辛いことも多いですが、愚直に、根気よく目の前の仕事と向き合っていると、必ず楽しいと思える瞬間に出会います。解決への軌道に乗った時、誰かから感謝された時、素敵な出会いがあった時、自らの設計が風景となった時、それを使う人々の生活がほんの少し豊かになった時・・・。
若手技術者には、そんな仕事の楽しさにめぐり会うまで共に成長し、共に唯一無二のCFK鉄道を創っていきたいです。
オリジナリティを繋ぐ

会社設立以来、業界のパイオニアとして高い技術力と社会貢献の精神をもって鉄道建設事業に貢献してきたCFK。しかし、時代は大きな転換期を迎え、インフラDX、SDGs、Beyondコロナなどの目新しい言葉が飛び交っています。新しい時代の波が急速に押し寄せるなか、先達が築いてきたCFK鉄道の土台を堅持しつつも、未来に向かって何ができるでしょうか。
鉄道土木の設計だけでは、今後ますます多様化する社会ニーズに応えることは難しいでしょう。車両、軌道、電気、信号、通信など、鉄道システムを構成する技術は実に多く、未来に向けては、環境、防災、維持管理など、総合的なマネジメント力が必要になってきます。それら周辺知識を深めていくことは、コンサルタントの新たな役割を考える上で必要不可欠です。技術者人生の折り返し地点を過ぎてなお、学ぶことは無限とあります。
過去から受け継いだCFKのDNAを次世代にも繋ぎつつ、令和版CFKのオリジナリティを模索しながら、これからも進化していきたいです。