座談会「災害対応の想いを紡ぐ」

はじめに

1 震災当日午前の東淀川本社(当時)
(時計は5時46分を指したまま)

本記事は、「紡ぐ」をテーマに、過去の阪神・淡路大震災や東日本大震災などの災害時に対応された技術者と、近年高山(岐阜県)や吉野(奈良県)で対応している地盤・防災グループの若手社員により、「災害対応についての想いを紡ぐ」というテーマに関して座談会形式で語り合いました。

座談会参加者

CROSSTALK THEME

社員総出で対応した 阪神・淡路大震災

地震のすさまじさ

2 1995年(平成7年)5月のCFKネットワーク震災特集

奥野:1995年(平成7年)5月のCFKネットワーク(写真2)では、震災特集として「阪神・淡路大震災の発生と対応」が企画されている記事を拝見しました。私自身、このような資料があることを初めて知り、とても貴重な資料だと思いました。当時の話を伺わせて下さい。

3 横転した阪神高速道路

八谷:私は阪神・淡路大震災の前日、道路公団の仕事のために群馬県に前乗りしていました。朝、ホテルでテレビを点けたら、長田が燃えている映像が流れていました。とにかく関西に帰らなければならないと思って、東京へ向かいました。途中、新幹線は名古屋まで動きだし、次いで京都まで動いたということで何とか帰阪できました。翌朝、自転車で、尼崎から神戸の自宅まで帰りましたが、阪神高速の高架が倒れた現場(写真3)、三宮では倒れかかったビル現場などを通りながら帰宅しました。

上田:被害を受けた当事者でもあるし、全部が止まってしまいました。最近の災害対応とは違うところだと思います。あのときは他の仕事を動かさないで皆で対応しました。

丹羽:当時の手帳を見てみると、前日まで連休を利用して会社の有志でスキーに行っていて、休み明けの朝に地震が襲いました。直後は停電で状況が分からず、回復後に観たテレビ画面には、とんでもない情景が映し出されていました。電車は動かず会社に行くことはできませんでした。

畔取:当時、神戸の災害現場に行く人がよく話していたのは、途中は大渋滞で、尼崎ぐらいから景色が一変して、西に向かっていくほど災害地だらけの状態でした、とのことです。私自身、今でも明確に覚えていますが、テレビの速報画面の地図上に神戸だけが震度が出ません。あの日、何も動けませんでした。電車も動いていません。会社に来ていたのは、近くの人間だけだったと聞いています。

丹羽:私は地震二日後の木曜日夜9時に近畿地方整備局にコンサルタント企業が数社呼ばれて、翌日から被災した国道2号と43号を各社で区分けして安全点検を行いました。二次災害が起こりそうならすぐ連絡というもので、初めて携帯電話を持つことになりました。また、点検と同時に芦屋にあった阪神国道事務所に避難されている方に水と食料を差し入れました。

次々とやってくる仕事

奥野:そのときの仕事って、どういう感じで依頼が来たのでしょうか。

畔取:当時の資料を見ると、あちこちから仕事の依頼がありました。

八谷:トップダウンでとにかく断らない方針でした。

上田:上下水道の部署にいましたが、そういったライフラインの復旧を急ぐ必要がありました。とにかく神戸の汚水処理場を見てくれという依頼があったのだと思います。歩いていけないので、何とか土曜日に大正(大阪市の湾岸部)から民間の用意した船に便乗させてもらい現場に着きましたが、いつ戻れるかは分からない状況でした。泊まる場所も、分からず行っていました。2、3日分ぐらいの食料を持って、処理場の施設とか、普通に避難している人の所とかの一画を借りて寝泊まりしていました。毛布は借りましたが、建物のコンクリート床で寝るのがつらかったです。

畔取:震災前は神戸市交通局海岸線の仕事が最盛期だったので、CFKは神戸事務所を開設していました。震災直後から神戸事務所が拠点となって、滞在社員はそこで寝泊まりすることもありました。

4 名神高速道路壁式橋脚の被害

八谷:神戸以西の住人は通勤できませんでした。会社の対応として、通勤できない人たちのために、東淀川にマンションを借りてくれました。そこに3~4人で数か月過ごしました。

上田:だけど、災害の対応をすることを特別に意識してないですよね。

八谷:そんなに苦じゃないというか、そこに身を置いてしまえばね。

畔取:使命感みたいなのがありました。やらなければならない雰囲気でした。

上田:目に入ることすべてが初めてのことでした。高速道路の橋脚が倒れるなんて想像もしないことが目の前にありました。本当にすごい世界でした(写真4)。

若手社員は阪神・淡路大震災を知らない

奥野:私は大学生だったので、阪神・淡路大震災の記憶はありますが、若手はほとんど知らないですよね。

川原:私はまだ生まれていませんでした。私は神戸市出身であるため、親や小中学校などで震災の教育はありましたが、いま考えると、この時の災害対応はすごい世界だったと思います。

角田:関西生まれでも、阪神・淡路大震災の後に生まれた人など、実際に阪神高速の高架が倒れた現場とかを見ていない人が多いと思います。そういう人がいきなり現場に行って、現場の状況を見たときにどう思うのかは、気になります。

地震による設計基準変更

畔取:地震による構造物の壊れ方に関し、鉄道構造物の中でもいろんな被害がありましたけど、いくつか当時の耐震設計理論では説明できない破壊がありました。

勝瀬:これが契機で耐震設計って何か変わったのですか。

上田:大きく変わりました。

丹羽:1995年2月27日に建設省より「兵庫県南部地震により被災した道路橋の復旧に係る仕様(復旧仕様)」が通知され、変形性能を高めて橋全体系として地震に耐える構造を目指し、それまでの震度法に加えて地震時保有水平耐力の照査と動的解析による照査が導入され、現在の耐震設計の基本となっています。

角田:耐震設計の見直しという話で言えば、山岳トンネルは、一般的に地表の構造物に比べて地震の影響が少なく耐震性は高いですが、熊本地震において大きな被害が発生しました。それ以降、山岳トンネルにも耐震補強の考え方が追加されました。

仕事は他分野でもやらざるを得 ない

角田:阪神・淡路大震災の際、誰がどこの現場に行くとかいうのは、どのように決められていたのでしょうか。所属部署や得意分野など全く関係のない分野をいきなり設計するという社員もかなり多かったのではないでしょうか。

上田:発注者からの指示をもらった上司からの指示により決まっていました。入ったばっかりの新入社員もメンバーに入れて、現場に見に行きました。

丹羽:通常時に仕事の受注を検討する場合、実施体制を検討し判断しますが、地震直後から、いろんなところから依頼があったので、体制云々よりもメンバー全員が順々にどれかの業務を担当する、そんな感じでした。

変化する災害対応

災害対応の受け方の変化

八谷:2004年や2009年にも大きな豪雨災害が確かありました。災害対応の依頼はそれぐらいまでは個人宛てに来ていました。それを受けた部長クラスは人を集めて、行くぞって感じでした。個人に依頼が来るので、引き受けざるを得なかったのではないでしょうか。今は地質調査業界や建設コンサルタンツ協会は国交省や自治体と災害協定を結んでいるため公募で対応する会社を決めています。

上田:私も、社内で応援人材を確保するのに走り回っていました。最終的には営業部門にまで行ってスタッフとかにも手伝ってもらっていました。

八谷:2011年の紀伊半島大水害のときは、私は陣頭指揮をとりました。そのために、3週間ほど紀伊勝浦に泊まっていました。社内で集めてくれた営業、鉄道や道路グループなどのメンバーを受け入れていました。

畔取:豪雨災害が頻繁に起こる意識はその当時はありませんでした。これは緊急事態だからと指示して派遣しました。

5 参加者、左から勝瀬・川原・奥野、と角田(Web参加)

東日本大震災の災害対応

角田:東日本大震災が起こった際、関西の方々はニュース映像を見た時点で、その凄まじさを感じていただけたのでしょうか。僕は当時筑波大学に在学中で、実家は福島県いわき市だったので、その後の被災地の惨状も目の当たりにしました。原発事故もあったので、一時的に一家全員避難しました。このような実体験があるかどうかは、災害に対する考え方に大きく影響を及ぼすと思います。東日本大震災の際に、他の業務はストップしたのでしょうか。

上田:ストップさせた業務もありますが、関西の業務は割と動いていました。

畔取:震災地以外の発注者に対し、受注者から要請があったら協力してほしいと国からの通達が出ていました。

現在の災害対応

上田:今は大変だと思います。あっちこっちで豪雨災害などが起こります。例えば高山で災害が起こっても、関西の仕事は普通に動いています。阪神・淡路大震災のときは全部止まりました。通常の仕事は後回しにできました。今はそういうわけにもいきません。今の災害対応は、そういう辛さはあると思います。全員で行けって言われても、仕事終わってない、明日打合せがあると言われたら依頼できません。

奥野:最近、災害対応で規模感が違うのでちょっと比較はできないですが、高山の災害は複合災害でした。

八谷:2020年の河川沿いの道路崩落災害の時は、河川と道路のメンバーにも協力を仰ぎたかったです。

丹羽:既に動いている仕事で手一杯な状態で、それを止めることが出来れば協力できましたが、実情は止められず厳しいです。

川原:吉野の場合、河川災害等の複合災害は少ないため、地盤-防災グループ内で対応できる内容ですが、いざ複合災害が生じた場合は地盤・防災グループだけで対応が困難な場合があります。また、通常業務を遂行する中で、災害対応に取り組んでいますが、とにかく急ぐ必要があるため、通常業務が完全に止まってしまいます。うまく分担できるような体制が事前に組めれば良いのですが。

上田:現在、地盤・防災グループがリーダーシップをとって、いざというときに出動するメンバーを全社的に決めて、有事に備えています。規模は大きくないかもしれないけれど、実際にその仕組みを機能させているのは、とてもいいことだと思います。別の部署からも「今回は私が行きます」と返事があったりすると、頼もしい限りです。

奥野:「行きます」という気持ちは非常に大事にしたいと思います。僕も入社してから、災害対応することでスキルアップできた実感があります。災害対応を経験することで早く成長することができるので、若手には積極的に経験してほしいと思っています。

角田:災害対応の中でも、調査だけなのか、設計まで行うのかという違いはあると思います。吉野の全社的災害対応の取り組みがあるので、全社的災害対応メンバーが各調査班のリーダーになって、自部署の社員を調査員にすることで、会社として調査班数を増やすことができます。僕自身、地盤・防災グループに来て、高山や吉野などで様々な災害対応を経験できたので、他部署に異動したとしても、リーダーになって後輩たちを引っ張って調査したいと思っています。

勝瀬:理想的な話になりますが、調査に行って、緊急対応として復旧設計を依頼されるケースがあります。この連鎖的対応を全社的災害対応メンバーで一緒にやるのはいかがでしょうか。グループの垣根越えてスキルアップしていきます。グループに持って帰ってもらって、必ず生きる部分はあると思っています。各々手持ちがあるなかで難しいですが、そういう取り組みを試験的にやってもよいのかなと思います。

上田:緊急事態の対応は、経験をしていないと、言われただけではできない、というのはあると思います。

勝瀬:たとえば災害10カ所の対応依頼があったときに、地盤・防災グループだけの限られた人間の中ではなかなか対応することが難しいのが実情です。一方でCFKを頼りにして声をかけていただいている以上、断りきれない面もあります。

角田:全社的災害対応のメンバーは若いメンバーを揃えているので設計の経験値は少ないです。そのため、その後の設計を見越してベテランをメンバーに加えておく必要もあると思っています。災害が起こって急ぎで設計が必要になった際には、頭で考えたり手を動かしたりするのは若手ですが、ベテランがアドバイスして品質を高めていく、という仕組みが作れれば効率的に災害対応を進めることができると思います。

勝瀬:個人レベルの会話の中では全社的災害対応メンバーの中には緊急点検から災害復旧の設計まで一気通貫してやりたいという気概をもった人もいます。

上田:頼もしいです。有事にリーダーシップをとれる人材を育て、その思いに答えられる組織でありたいと思います。

奥野:災害復旧設計をやりたい人は、積極的にぜひやっていただきたいと思います。先日、「災害に学ぶ道路防災という勉強会」を高山国道事務所向けに実施しましたが、災害事例を説明するだけでも参考になったと言って頂けた。道路や鉄道でも法面設計されていると思いますが、災害事例を知っているか知っていないかによって、設計内容も変わってくると思います。

6 参加者、左から八谷・丹羽・畔取・上田

これからの大規模災害に向けて

災害対応の備えは必要

奥野:災害対応について備えておくことは必要であり、事前資料調査-現場準備などの備えも大事ですが、災害対応訓練などを実施することもよいと思います。

勝瀬:業務の範疇であれば、定期点検等で地域精通度を高めておけば込み入った準備は要らないと思います。点検しているとここは危険だというところはピンときます。一方で全く予想できないところで発災するというケースもありますが。

上田:どのような行動をとるか想定し訓練しておくことは大事だけれど、想定外のことが次々に起こるのが災害対応です。想定外のことにも、めげずに仕事できる人材を育てないといけません。

今後の大震災の対応

奥野:南海トラフっていうのは間近に迫った大震災だと思います。そのときにどのように行動するのかは気になります。

八谷:他の業務はストップするような災害になると思います。東海・東南海・南海3連動地震、もしかしたら4連動するかもしれないと言われている中、広域災害を想定しておく必要があります。そのときに、例えば南海トラフ地震のBCP(事業継続計画)を作っておく必要があるのではないでしょうか。みんなが心配しているような災害対応ということも含めて。作って終わりじゃなくて、奥野さんが言ったような災害対応訓練を繰り返し行い、災害時に備えておく必要はあると思います。

上田:現在のCFKにもBCPはあって、阪神・淡路大震災の後に作ったものがベースになっています。ですが、取り巻く環境が激しく変化して、今は、仕事の情報が使えるか、セキュリティが確保できているかといったことが昔に比べて大きな問題となります。そういったことを重視したBCPに切り替えていっていますが、実際に問題が起こったときには、わからない人もいるかもしれません。

全社的災害対応

奥野:今の災害対応は特定の人だけに仕事が集まってしまう場合が多く、周りが災害対応の業務をしていないと気になることもあります。

上田:自分だけが責任の重い仕事をしていると感じてしまうと、なかなかつらいものがあると思います。

八谷:高山に泊まり込んで数名で災害調査したとき、夜の8時までは高山営業所で仕事して、その後一緒にご飯を食べました。そういう雰囲気っていうのがやっぱり大事なんかなと僕は思います。

奥野:一人にさせるのはよくないので、何人かで一緒に対応するっていうところは大事かと思います。

上田:本部長になるときは、何か起こったときには、声を出さなければならないという覚悟はあります。

災害対応の想いを紡ぐ

奥野:阪神・淡路大震災のCFKネットワークを、周りの若い人にも読んでもらいましたが、ほとんど知りませんでした。後輩たちに送る技術篇となっているので、是非当時の話を後世に伝えていく機会があってもいいのではないでしょうか。

上田:それこそ、紡ぐだと思います。

八谷:語り部が必要ですね。

丹羽:今では体験してない人がほとんどですが、これを機会に、心構えとか、普段の生活でもそうですし、家族やグループで話し合うことが大切ではないでしょうか。年に1回、震災を考えておくだけでも、よいと思います。

奥野:今回、「災害対応の想い」を紡ぐというテーマで座談会をさせて頂きましたが、南海トラフ地震等の「大地震はいつか必ず起こる」と思います。これまでの災害対応の想いを紡いで、対応していく必要性を改めて感じることができました。その備えとしても、今回の座談会をきっかけに、阪神・淡路大震災の報告会等を企画したいと思います。

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